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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)2024号 判決

原告

田渕君子

右訴訟代理人

平山芳明

池田啓倫

被告

右代表者 法務大臣

奥野誠亮

右訴訟代理人

原健二

右指定代理人

西村省三

外三名

主文

被告は原告に対し、金四九〇万円及びこれに対する昭和五三年四月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。但し被告が金二五万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金九一〇万円及びこれに対する昭和五三年四月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決及び仮執行免脱宣言

一  請求原因

1  大阪法務局高槻出張所には、つぎの登記簿が存在する。(右登記簿を以下本件登記簿という。)

(表題部)

高槻市富田町二〇一五番

宅地 85.95平方メートル

(甲区)

順位番号一

所有権移転 明治二三年八月一八日受付

原因 同日遺産相続

所有者 三島郡富田町一六五番

矢田由松

順位番号二

所有権移転 昭和四六年七月一三日受付第二六八六一号

原因 大正五年三月七日矢田清太郎家督相続、昭和一四年二月五日家督相続

所有者 高槻市富田町五丁目四番六号

矢田富彦

2  原告は、昭和四九年四月二四日及び同年七月二六日、本件登記簿上の土地の所有名義人である訴外矢田富彦との間で、本件登記簿表示の土地を目的として、別紙一担保目録記載の各根抵当権設定契約(以下本件各根抵当権設定契約という。)を締結し、本件登記簿につき別紙二登記目録記載の各登記(以下本件各根抵当権設定登記という。)を経たうえ、本件各根抵当権設定契約等に基づき同人に対して手形貸付を行い、別表手形目録記載の約束手形金合計九一〇万円の手形金債権を有していたところ、同人は昭和五〇年三月二五日不渡手形を出して支払いを停止し、その後支払不能の状態に陥つた。

3  矢田はその後所在不明となり、原告の同人に対する右債権の引当てとなるべき一般財産はないので、右債権回収のためには本件各根抵当権を実行する以外に方法はないところ、その目的である本件登記簿に対応する土地は現実には存在せず、登記簿上のみ架空のものであつた。

4  右のように架空登記簿が備付けられるようになつたのは、昭和三〇年二月一〇日大阪法務局高槻出張所登記官が三島郡富田町二二七五番の土地(同町は後に高槻市富田町となる。以下地番のみで表わす。)の旧登記簿を移記する際、誤つて地番を二〇一五番と記載したためである。なお二二七五番の土地の登記簿はその後の昭和三六年五月一五日別に新たに編成された。

5  原告は、本件各根抵当権設定契約を締結するに当つて、本件登記簿に記載された土地の地番と酷似する二〇一五番一の土地を実地に見分し、これを本件登記簿上の土地と信じて、極度額合計一、二〇〇万円の右設定契約を締結したうえ、矢田に対して前記のような貸付を行つた結果、合計金九一〇万円の債権が回収不能となり右同額の損害を受けたが、右損害は登記官の前記過失と相当因果関係がある。

6  よつて原告は被告国の公務員である登記官がその職務を行うについてなした前記過失によつて金九一〇万円の損害を受けたので、国家賠償法一条一項の規定に基づき、被告に対し右損害賠償金九一〇万円及びこれに対する右損害発生の後である昭和五三年四月二二日(本件訴状送達の日の翌日)から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原告に対する認否

1  請求原因第1項、認める。

2  同第2項目、本件登記簿上の土地につき、本件各根抵当権設定登記が経由されていることは認めるが、原告が矢田に手形貸付を行つたとの主張は否認、仮に同人に対する貸付がなされたとしてもその債権者は原告の息子である訴外田渕政治である。その余の事実は不知

3  同第3項中、矢田のその後の状況及びその資産状態については不知、その余は争う。

4  同第4項、本件登記簿が昭和三〇年二月一〇日旧登記簿より移記されたものであることは認める。但し右移記を担当したのは大阪法務局茨木出張所登記官であつた(右登記簿は、昭和三一年九月三〇日同出張所より同法務局高槻出張所へ管轄転属)。

誤移記との主張は否認。即ち仮に原告主張のような誤移記とすれば、当時の数字の記載方法として「弐千弐百七拾五番」との記載すべきところを、中間の三文字を脱落させて「弐千拾五番」と記載し、且つ右誤記が校合の際も看過されたことになるが、このように推測することはあまりにも不合理である。又二二七五番の土地につき昭和三六年五月一五日新たに矢田富彦を所有者とする保存登記がなされたが、このことは右保存登記時二二七五番の土地の旧登記簿も存在しなかつたことを示すものである。即ち右のような保存登記は特異な事例であるから、登記申請があつた際、登記官は二重登記防止の立場からも保存期間中の旧登記簿等必要な資料につき十分な調査をした筈であり、仮に二二七五番の土地の旧登記簿が存在したとすれば、当然移転登記がなされるべきであつたのに、右のように保存登記がなされたことは二二七五番の土地については旧登記簿も存在しなかつたことを示すもので、従つて同番の旧登記簿からの誤移記はありえず、本件登記簿の旧登記簿上も二〇一五番との表示されていたと見るべきである。

5  同第5項中、原告が金九一〇万円の損害を受けたとの主張及びそれに至る経緯についての主張は不知。その余について争う。

三  被告の主張

仮に本件登記簿上の土地につき登記官に誤移記があつたとしても、原告が現地で見分したという二〇一五番一の土地の面積は本件登記簿表示の面積と相違し、そのうえ住宅会社が造成分譲している土地であつたから、原告は、その同一性に疑いをもつべきであつたにもかかわらず、矢田の詐言を漫然と信じ、公図で確認する等の調査もせず、二度にわたつて根抵当権を設定し、貸付けを継続したものであつて、その損害の発生と拡大については原告にも過失があるから、過失相殺をすべきである。

四  被告の主張に対する答弁

争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一大阪法務局高槻出張所に本件登記簿が存在すること及び本件登記簿に本件各根抵当権設定登記がなされたことはいずれも当事者間に争はない。右事実、〈証拠〉によれば、原告は昭和四九年四月二四日及び同年七月二六日本件登記簿に表示された土地の所有名義人である矢田富彦との間で、右土地を目的として本件各根抵当権設定契約を締結し、本件各根抵当権設定登記を経たうえ、本件根抵当権設定契約に基づき同人に対して手形貸付を行つたこと、右貸付の結果、原告は昭和五〇年三月二五日現在同人が右支払いのために振出した別紙手形目録記載の約束手形八通に基づく合計金九一〇万円の手形金債権を有していたが、同人は同日不渡手形を出して支払いを停止し、その後支払い不能の状態に陥つたことが認められる。なお同人に対する法律上の債権者については、本件各根抵当権者が原告である事実及び同証人の証言(第二回)により、これを原告と認めるべきであり、従つて右債権に関して損害が生じた場合の損害賠償請求権者も原告と認めるのが相当である。同証人の第一回証言によつては右認定を左右せず、他にこれに反する証拠はない。

同証人の証言(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、矢田はその後行方不明となり、同人から任意の弁済を受ける可能性はなくなつたので、原告は昭和五一年春頃、同人に対する右合計金九一〇万円の約束手形金債権を被担保債権として右抵当権を実行するための準備として同出張所において公図を閲覧しようとしたところ、同出張所の担当者から本件登記簿に対応する土地が存在しない旨告げられたことが認められる。

二ところで登記簿に記載された土地は現実に存在するであろうと信ずるのが通常であるから、仮に対応すべき土地のない架空の登記簿が存在し、且つそのような登記簿が存在するに至るのについて登記官に故意過失があつた場合は、被告は、右登記簿に記載された土地が実在するものと信じてその登記名義人と取引関係に入つた者に対して、登記官の違法行為と相当因果関係がある限り、その者が右誤信によつて蒙つた損害を賠償する責任があるというべきである。

これを本件について見ると、

1  〈証拠〉によれば、旧三島郡富田町の区画内には二〇一五番の地番を有する土地は公図上にも記載されておらず、現地にも存在しないこと及び土地台帳に登録もされていなかつたことが認められる。

もつとも〈証拠〉によれば、昭和一五年一〇月九日以前には同区画内に二〇一五番の地番を有する土地が存在し、右土地は土地台帳に登録されていたことが認められる。しかし〈証拠〉によれば、右土地はその地積及び所有者から見ても本件登記簿に記載された土地とは異なる別個の土地であつて、右土地にはこれに対応する別の登記簿が存在したこと、右土地は昭和一五年一〇月九日二筆に分筆されてそれぞれ同番の一及び同番の二が付された(従つてこの段階で同町には枝番のない二〇一五番の土地は存在しないこととなつたし、土地台帳上も枝番が付された。)こと、右同番一の土地はその後同番の三ないし一一分筆して面積は縮少しつつも現在157.28平方メートルの地積を有する土地として分筆された右各土地とともに登記簿上も現実にも存在することが認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、現在二〇一五番一以下の枝番を有する各土地が元来二〇一五番の地番を有した土地というべきところ、同一町村内で別個の土地に同地番が付されることはありえない筈であるから、右のとおり同じ地番の土地が別個に存在したことは、本件登記簿に対応すべき二〇一五番の土地は現在だけではなく、過去においても存在したことがなかつたことを示すものであり、従つて本件登記簿はいまだかつて存在したことのない土地を目的とした架空の登記簿であるといわなければならない。

2  ところで〈証拠〉によれば、編成の最初から右のように対応する土地も土地台帳の登録もない架空の登記簿が存在することは登記実務上ほとんどありえないことが認められるのであるが、右事実に、当事者間に争のない現存する本件登記簿の表題部の記載事項は昭和三〇年二月一〇日旧登記簿から移記されたものであるとの事実(なお弁論の全趣旨によれば、右移記を担当したのは、当時所轄の同法務局茨木出張所登記官であると認める。)を考え合わせ、同証言に照らすと、旧登記簿は対応する土地があつたにもかかわらず、これから移記する際に地番の誤記があり、それによつて対応する土地のない本件登記簿が出現するに至つた可能性が極めて強いと認めざるをえない。

3  更に検討を進めると、〈証拠〉によれば、本件登記簿の甲区順位番号一の所有名義人である矢田由松は明治二三年二二七五番の土地を先代から譲与され、以後これを所有していたが、右土地の土地台帳上の地積は二六坪であつて、本件登記簿表題部に表示された地積の平方メートルに書替前の地積と一致すること、右土地は由松の先代が所有していた頃から土地台帳に登録されて課税の対象となつていたこと、ところが昭和三六年頃には右土地の登記簿が存在しなかつたことが認められる。ところで証人古田寛治及び同渡辺実の各証言によれば、現に土地が存在し、しかも土地台帳に登録されなかつた登記簿がない土地もまた本来はほとんどありえないものであることが認められ、これに反する証拠はない。右事実を総合すると二二七五番の土地の登記簿はもともとは存在したのに、昭和三六年以前に何らかの事情によつて消失したと認めても不合理はない。

4  以上の各事実によれば、もともと対応すべき土地のない登記簿の存在と、対応すべき登記簿のない土地の存在は、いずれもそれぞれ稀有のことに属するが、その両者が地積及び所有名義人を同一にし、且つ前者が旧登記簿からの移記という作業を経ている事実を考え合わせると、右移記を契機とする右両者間の関連性を否定する根拠は乏しく、即ち二二七五番の旧登記簿が移記される際、地番が二〇一五番と誤記された可能性は極めて高いといわざるをえない。

更に検討をすると、仮に右移記の際の誤転記だとすれば、担当した登記官は、当時登記簿に使用された数字に従い、地番を弐千弐百七拾五番から弐千拾五番と誤記した(右数字記載方法については成立に争のない甲第一号証及び証人古田寛治の証言により認める。)ことになるが、右両数字を対比した場合、右の程度の誤転記は必ずしもありえないことではないというべきである。又〈証拠〉によれば、昭和三六年五月一五日、二二七五番の土地の登記簿が新たに編成されたが、その際右登記簿に矢田富彦を所有者とする保存登記がなされたことが認められるところ、証人古田寛治の証言によれば、通常の登記事務においては、土地の保存登記申請があつた場合は、二重登記を防止するためにも保存されている旧登記簿を調査し、対応する旧登記簿がない場合に保存登記に応じることが認められるが、同証言によつても常に右のような調査が尽されるとは限らず、最少限実在する土地につき申請人が所有権を有することの証明書があり、且つ現にそれに対応する登記簿が存在しなければ、保存登記申請は受理されることがありえたことが認められるので、二二七五番の土地について新たに保存登記がなされた事実をもつて、同番の土地の旧登記簿が存在しなかつたとすることはできない。他に前記誤転記の可能性を否定すべき事情は認められない。

5  以上を総合すると、本件登記簿は、昭和三〇年二月一〇日、二二七五番の土地の旧登記簿から移記する際、担当登記官の過失により、表題部表示欄の地番を二〇一五番の記載したものであると認めることが相当であり、且つ右過失は、前記認定のとおり昭和三六年五月一五日二二七五番の土地の登記簿が別に編成されて所有権保存の登記がなされたとき、旧登記簿との同一性を失い、もはや訂正が不可能なものとなることによつて確定したというべきである。

一方〈証拠〉によれば、矢田との間の本件各根抵当権設定契約や矢田に対する前記貸付において原告に代つてその事務を処理したのは原告の息子である田渕政治であつたが、同人は右設定契約に当つては矢田から本件登記簿謄本の交付を受け、仲介者である太田某から設定すべき根抵当権の目的地として本件登記簿表示の地番に酷似の地番を有する前記二〇一五番一の土地に案内されてこれを本件登記簿に対応する土地と誤信し、見分の結果担保価値は十分にあるものと評価して、右評価額の限度内で根抵当権を設定して矢田に対する貸付を行つたことが認められるが、同人の右誤信と右担保評価額の限度内における貸付は、登記官の前記違法行為と相当因果関係があるということができる。

三過失相殺の主張について

〈証拠〉によれば、前記経緯で二〇一五番一の土地に案内された政治は、本件登記簿表示の土地の地積が85.95平方メートル(二六坪)に過ぎないのに対して、見分した土地の面積は一見して少くとも一三二平方メートル(四〇坪)はあると見受けられ、しかも第三者である小林住宅産業株式会社(同土地の所有者であつた。)が同土地を占有していたにもかかわらず、その同一性に疑念も抱かず、現地に居合わせた右占有者らに同土地の所有者名を尋ねる等同一性を確認することもなかつたし、公図の調査も怠つたことが認められるが、本件ではこれを原告の過失とみなして斟酌すべきところ、諸般の事情に照らし、原告に生じた損害の三割を減額するのが相当である。

四原告の損害について

登記官の前記違法行為と相当因果関係のある原告の損害即ち登記官の誤移記による架空の本件登記簿がなければ蒙らなかつたであろう損害は、原告の現実の支出額、即ち矢田に対する貸付元金中回収不能額を限度とするというべきである(原告が金融業者である等特段の事情の認められない本件では、貸付利息分を右損害に加えるべき根拠はない。)。この点について証人田渕政治の証言(第一回)によれば、原告の矢田に対する前記貸付に当つては日歩二〇銭を限度とする利息支払いの約がなされたこと及び別紙手形目録記載の各約束手形は、右貸金の分割弁済金支払いのために同人が振出したものであることが認められる。右認定の利息の約から見れば、右手形金の中には利息部分が含まれていることは明らかであるが、その利率が最高限日歩二〇銭(月六分に相当)である事実及び各手形金額に照らすと同目録番号一、三及び六の各手形金額中、各三〇万円、番号二、四、五及七の各手形(いずれも額面三〇万円)は利息支払いのためのものとの可能性が否定できない。その余の部分は元金であることについて疑をいだかせる証拠はないので、右手形金合計九一〇万円中利息の可能性のある二一〇万円を除いた七〇〇万円は、原告が同人に交付した貸付金に対応するものであると認めることができる。

よつて登記官の前記不法行為によつて原告が蒙つた損害は金七〇〇万円というべきところ、前記三割の過失相殺をすると、被告が原告に対して支払うべき損害賠償額は金四九〇万円ということになる。

五以上の次第で原告の本訴請求は金四九〇万円及びこれに対する右損害発生の後である昭和五三年四月二二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言とその免脱宣言については同法一九六条一、三項を適用して主文のとおり判決する。(国枝和彦)

登記目録、担保目録、約束手形目録

〈省略〉

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